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大阪高等裁判所 昭和32年(ネ)960号 判決

控訴人(原告) 谷口平三郎

被控訴人(被告) 京都市

原審 京都地方昭和三〇年(ワ)第四六八号(例集八巻七号136参照)

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人訴訟代理人は、「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し十七万七百二十六円を支払え。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。」との判決を、被控訴人訴訟代理人は「本件控訴を棄却する。訴訟費用は第一、二審共控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用、書証の認否は、控訴人訴訟代理人が(一)、およそ旧市制による市吏員の退隠料については、恩給法による恩給の場合と異り、同法に規定する恩給局長の裁定に該当するような別個の裁定機関による裁定をまたず、具体的退隠料請求権が発生するものである。被控訴人は控訴人を依願免本職としたのであるから、控訴人は京都市有給吏員退隠料退職給与金死亡給与金及び遺族扶助料条例第五条に言う退職者としたのであつて、これは被控訴人が独自の権限に基き調査裁量の結果控訴人を退職者と認め退隠料を支給することと裁定したものであり、これによつて控訴人の退隠料請求権は具体的に発生確定しているのである。前記条例施行細則の規定は右具体的に発生した退隠料請求権を退隠料証書なる文書に表示する手続を定めたものにすぎない。(二)、しかるに被控訴人は控訴人が右施行細則第一条に基いて同第二条所定の書類を添付してなした退隠料証書の請求に対し、前記条例第十一条第三項を違法に引用して控訴人には退隠料を受ける資格が有効に発生しなかつたとして右請求を却下したが、右却下処分は違法であり当然無効である。次いで京都市参事会は控訴人の異議申立を期間徒過を理由で却下し、その後なされた府参事会の訴願却下の裁決、行政裁判所の却下の判決はいずれも右被控訴人の違法な却下処分を前提として実質上の審査をせず形式上の理由でなされたのである。しかしながら、いかに旧市制による不服申立方法たる異議、訴願、出訴に対する却下の決定、裁決、及び判決が形式上確定したとしても、もともと被控訴人の却下処分が当然無効のものであるから、右却下の決定、裁決、判決等には公定力がない。(三)また退隠料請求権を有する控訴人は旧市制第百七条によつて不服を申立てうるのみならず、他面行政裁判所の廃止された現在裁判所に対してその給付請求の訴を提起しうるものである。と述べた他原判決の事実記載と同一であるから、ここにこれを引用する。

理由

一、被控訴人は、控訴人の被控訴人に対する退隠料請求に関しては、当時終局的救済方法として定められていた旧行政裁判所の判決によつて、被控訴人市長の控訴人の退隠料請求を却下する処分が確定している以上、もはや控訴人の退隠料請求権の有無に拘らず、本訴は理由がない、と主張するから判断する。

旧市制(明治四十四年法律第六十八号)による市の職員の退職によつて支給される退隠料の請求権は公法上の給付請求権と認むべきであつて、旧憲法下に於てはかゝる退隠料請求権に関しては司法裁判所による救済が許されず、最終的に行政裁判所に出訴することが認められていたに過ぎなかつたけれども、旧行政裁判所制度が廃止され、公法上に関するものと雖も、私法上の権利に関するものと等しく、権利関係の争訟はすべて司法裁判所に出訴することの認められた現行憲法の下に於ては、たとえ旧憲法当時認められた最終的且唯一の救済方法であつた旧行政裁判所の判決により確定した権利関係に関するものと雖も、現在尚これを争うことの利益のある以上司法裁判所に出訴することができるものと解すべきである。

けだし現行憲法は民事刑事のみならず行政上の争訟も等しく司法権の範囲として司法裁判所の権限に属せしめて、行政権に対する国民の権利保護を単なる行政権の自制作用に委ねず最終的には司法裁判所の権限に委ねたのである。このような新憲法に於ける司法権の内容に着目するときは、旧行政裁判所の判決はひつきよう一の行政機関の処分に外ならないのであるから、たとえ旧行政裁判所の判決によつて当時権利関係が確定していたとしても、現行憲法下に於ては未だ司法権による救済を受けていないものと言わねばならないからである。

二、そこで控訴人の本訴請求について判断する。

(1)  控訴人が大正十二年三月三十一日京都市書記を拝命し、下京区役所に在職中昭和八年十二月十一日起訴され収賄罪により懲役五月に処せられ右判決が昭和九年五月二十八日確定したこと、控訴人は昭和八年十二月十二日休職となり、同九年十月十七日、同年九月五日付依願免本職の辞令を受け退職したこと、そこで控訴人は昭和九年十二月三日被控訴人市の市長に対し退隠料の請求をしたところ、同市長は昭和十年三月十六日控訴人は京都市有給吏員退隠料退職給与金死亡給与金及び遺族扶助料条例第十一条第三号により退隠料請求権を有しないものとして右請求を却下したので、控訴人は控訴人主張のように異議、訴願を行い行政裁判所に出訴したが、市長の右却下処分が昭和十三年四月二十八日右行政裁判所の判決によつて確定したことは当事者間に争がない。

(2)  一般に市が支給する退隠料は市が有給吏員の退職した者に支給する金銭であつて、その受給資格、受給額、受給方法等は市条例を以つて定められるものであることは旧市制(明治四十四年法律第六十八号)第百六条の規定によつて明かであり国家公務員に対する恩給とその性質を同じくするものと言うことができる。従つて恩給と同じくその基本的退隠料請求権は市の有給吏員が一定期間在職して退職することによつて発生するものであるが、現実に退隠料の支給を請求しうるためには、右基本的退隠料請求権が具体的に確定されることが必要なのである。しかしてこれを確定するためには、恩給の場合の恩給局長の裁定と同様、これに相当する確認的行政処分を要するのであつて、これに基いて一定額の退隠料を請求しうることとなるものと解される。

被控訴人市に於ては京都市有給吏員退隠料退職給与金死亡給与金及び遺族扶助料条例(明治三十二年十一月一日市公告第百八十二号)を以つて退隠料受給資格、欠格条件、支給額等を一般的抽象的に規定し、同条例施行細則(明治四十三年九月三十日市公告第二百十号)には第一条に退隠料を受くべきものは第二条所定の書類を添付した請求書を差出すことを要すること、第十条には退隠料を支給すべきものには市長は支給すべき金額を記載した退隠料証書を交付すること、第十二条には退隠料を受領するには退隠料証書を提示しなければならないこと等を規定している。これらの規定からみれば、被控訴人市に於ては退隠料請求権者からの請求に基き市長が退隠料証書を交付することにより確認処分がなされて初めて支給すべき退隠料の額が確定され具体的退隠料請求権が生ずるものと言わねばならない。

控訴人は退隠料については恩給の場合と異り別個の裁定機関による裁定をまたず具体的退隠料請求権が発生するのであつて、依願免本職の辞令の交付によつて、被控訴人が控訴人に退隠料を支給することを裁定したものであり、これにより控訴人の退隠料請求権は具体的に発生し確定していると主張するが、依願免本職の辞令の交付は一般に任命権者が本人の意思に基いて公務員たる地位を失わせるために行うものであつて、しかも被控訴人市においては退隠料支給に関しては前認定のように別に本人の請求によつて市長が退隠料証書を交付することの規定のあることに徴すると、右依願免本職の辞令の交付が退隠料支給確認処分の効力を有するものと言うことはできない。また前記条例施行細則の規定が唯単に具体的に確定した退隠料請求権を退隠料証書に表示する手続を定めたにすぎないものと解することをえないことは前段説明の退隠料請求権の性質に鑑みて明かである。

(3)  控訴人が被控訴人市の市長に対し退隠料請求をしたが、右請求が却下され、右却下処分が旧行政裁判所の判決によつて確定したことは前認定の通りであつて、控訴人の右請求は前記条例施行細則第一条に基いたものであることは控訴人の主張自体から明かであるから、退隠料請求権の確認処分を求めたものであつて、これに対する市長の右却下処分は一の行政処分であるから、当然無効でない限り公定力を有し控訴人としては現在となつてはその取消請求はもはや出訴期間の徒過によつてできない。又右却下処分が当然無効であれば公定力もなく出訴期間の制限もなく控訴人は何時でもその無効を主張しうるけれども、その場合は結局市長の確認処分がないことに帰するにすぎない。しかも本件に於てはたとえ前記条例の解釈につき控訴人主張の見解が成り立ち得るものとしても、これと見解を異にしてなした市長の右却下処分に明白な瑕疵があるものとは言えないから、右処分を以て当然無効と言うことができない。

してみると本件に於ては控訴人は退隠料請求権につき被控訴人市の市長の確認処分を得ていないことに帰し、基本的退隠料請求権の有無の判断をする迄もなく、控訴人には未だ具体的退隠料請求権を取得していないのであるから、それより生ずる支分権的請求権である一定額の退隠料請求権を有しないことは明かである。

それ故その余の判断をする迄もなく控訴人の本訴請求は認容するに由がなく、これを棄却した原判決は相当であつて、本件控訴は棄却すべきである。よつて控訴費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十五条に則り主文の通り判決する。

(裁判官 大野美稲 石井末一 喜多勝)

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